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「一緒に夕飯を食べられない結婚生活」から山ぐらしを目指して移住
首都圏に暮らし、そろって総合電気メーカーに勤務していた河谷隆介さん、名保さん夫妻は、東日本大震災を機に愛媛県久万高原町に移住しました。大学院の先輩後輩で同じ会社に就職し、結婚後も共働き。終電ギリギリまで仕事をし、早く帰った方が慌ただしく家事を片付け、気がつけば夜中です。ふたり一緒に過ごす時間は睡眠を除くと1時間もありません。土日はくたびれて、寝て過ごすことが多かったという移住前の暮らし。 「結婚する時に『田舎に住ませてほしい』と言われていたので、郊外に引っ越したのですが『もっと田舎がいい』と言われました」と隆介さん。関東地方で納得のいく住処を探していた時に起きたのが、東日本大震災でした。「福島第一原発を起点に500キロ、1000キロと円を書き、円の外にあったのが、九州と四国でした。 はじめて行った四国で、松山が想像以上に都会だったので驚きました。『ここなら仕事がありそうだ』と思ったんです」 2011年5月に松山市へ移住。隆介さんは前職のシステムエンジニアで得た知識を活かし、専門学校講師の職を得ました。しかし、松山市は人口50万人の四国最大の都市。名保さんにとっては、「都会すぎる」場所でした。 「山での生活に興味があるなら」と知人に紹介されたのが久万高原町。名前の通り、平均標高800メートルの高原にあり、西日本最高峰の石鎚山や面河渓谷、日本三大カルストの四国カルストなど豊かな自然に彩られた町です。一方で、松山市の中心部まで車で約1時間というアクセスの良さも特徴。2012年4月に久万高原町に移り住んだ後も、隆介さんは松山の専門学校に通勤を続けることができました。
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移住で感じた「自分をさらす」ことの必要性
久万高原町には河谷さん夫妻のような暮らしを求め、移住する人が増加しています。 一方で名保さんは「移住したい人は田舎で自分をさらす必要がある」と指摘します。「地元の方からも色々なことを聞かれました。『ご主人はどんな仕事をしているのか』とか、『子供はいないのか』とか。それぞれの質問に丁寧に答えました。最初は様子をうかがっていた周囲の人も、子供が生まれても出ていかない私たちに『これは本気で久万高原に住むつもりだ』と感じたようです」 最初は町営住宅に住み、畑に興味があると言い続けたら、交番に勤務する警察官が借り手を探している畑を紹介してくれました。現在暮らす家も知人の紹介。所有者の異なる空き家と畑が同じ区画に混在しており、所有者の厚意に助けられながら、3軒の空き家と畑をまとめて購入することになりました。空き家を購入した経緯を振り返り、名保さんはこう言います。 「ずっと空き家を探していても巡り合わなかったのに、まとめて3軒買うことになったからびっくりしました。でも、自分たちのニーズだけを押し通すと、田舎暮らしはうまくいかないと思うんです」 ~「現在の河谷さん夫妻(2024年10月11日追記)」~ 取材当時から数年たった現在、河谷さん夫妻は久万高原町に定住し、自身の圃場でトマト農家として経営しながら地域と共に田舎暮らしを楽しんでいます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 🌟詳細はFURUSATOで読むことが出来ます ▶FURUSATO|https://www.furusato-web.jp/iju-story/p53332/
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