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高知で生まれ育ち、東京での就職を経て、Uターンして転職・起業するまでの歩みを伺いました。
■高知から東京へ、そしてUターンを決めたきっかけは? 室戸市で生まれて、田野町で育ちました。小さい頃からパソコンが大好きで、自然とその興味が進路にもつながって、龍馬学園の情報システム学科に進学しました。 卒業後は「一度は都会で経験を積みたい」と思い、東京の大手電機メーカー系グループ企業へ就職。 さまざまな企業に出向する形で、SE・プログラマーとしてシステム開発に携わっていました。 6年間で複数の会社を経験し、ある時、大手エレクトロニクスメーカーでWeb開発に関わるチャンスが訪れたんです。 ただ、本来はシステム開発メインの会社だったため、社内では「Web開発に長く関わるとシステム開発に戻れない」と言われていて…。 それでも僕は「新しい知識を身につけるチャンスだ」と思い、自ら志願しました。 その現場では4年間にわたり、システム開発からWeb開発・運用まで幅広く経験。 先輩方にも恵まれ、現在のWeb制作にも通じる多くの大切な考え方や技術を学ぶことができました。 案件の終了が近づくころには、「東京でWeb系に転職するか」「地元・高知に戻るか」を真剣に考えるようになりました。 そんなタイミングで、東京で開催されていた「高知就職・転職フェア」に参加したんです。 それを機に自分でも企業を探すようになり、Web制作やWeb広告に力を入れている高知のベンチャー企業を見つけました。 当時の高知では珍しく、「ここなら新しいチャレンジができそう」と感じ応募。面接もスムーズに進んだことからUターンを決めました。
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高知でのキャリアはどのようにスタートしましたか?
高知のWEBマーケティング会社に入社しました。最初の3年ほどはプログラマーやディレクション職がメインでしたが、営業のスキルも身につけたいと思い、営業に志願し転身しました。「土佐弁営業」で専門用語を避け、わかりやすく伝えるスタイルを身につけました(笑)。 県内外の企業100社以上を担当し、入社当初5名ほどだった会社は30名を超える規模に成長し、自身も部下を持つ管理職として会社をまとめる立場に。 気づけば9年間、走り続けた日々でした。 その間に社内結婚し、仕事も私生活も高知での生活が充実していきました…… ----------------- その他、独立・起業に至った背景や、ワークライフバランスの変化についてもお話いただきました。 続きは高知県移住ポータルサイト「高知家で暮らす。」に掲載中! ぜひご一読ください♪
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